人と会うと疲れる
人と会って
家に帰ると
どっと疲れている自分に気づく。
そんな方は、
もしかしたら、何かしらの仮面をつけているのかもしれませんね。
「いい人に思われたい」“いい人”仮面
「すごい人に思われたい」“すごい人”仮面
「優しい人に思われたい」“優しい人”仮面
「楽しい人に思われたい」“楽しい人”仮面
それこそ、
人によって無数に仮面はありそうですね。
そして、
ここで気づいてもらいたいのは、
仮面に対する評価が、
人によって全く違うということです。
例えば、
“面白い人”仮面
“面白い人”の定義って
人によって全く違うと思いませんか?
ある人は
ギャグを一杯言う人が“面白い人”の条件だったり、
ある人は
ギャグを言う人はうるさい、
もっと静かにしていて、自分なりの意見をさらっといえる人が
“面白い人”の条件だったり、
それこそ細かく見ていくと、
人の数だけ“面白い人”への評価具合が出てきそうです。
なので、
自分なりの仮面をつけていたとしても、
それは相手にとっては、
全く評価の対象にもならない
何の役にも立たない仮面だったりすることはあり得るわけですね。
もちろん、
相手にとってドンピシャな“仮面”をつけていれば
ラッキー、大きく評価されることがあるかもしれませんが、
そんな当たるかどうかもわからない
確立に賭けるために、
自分が疲れ続けるなんて、、
一体だれのための人生なのか、、
ちょっぴり勿体ない気もしませんか?
じゃあ、どんな在り方で居れば、
人といて疲れないのか?
私のおススメとしては、
まずは仮面を脱ぐこと。
、、、、、、
そんなのできれば苦労しねえんだよ!って
罵声が飛んできそうですが笑
では、
こう考えるのはどうでしょう?
「みんな目的は一緒なんだ」
いろんな人を観察してきて思うのが、
みんな「幸せになりたい」んだということ。
もっといえば、
誰にも責められたくないし、
認めてほしいし、
愛してほしいし、
わかってほしい。
それはもちろん
自分も含めて。
そして、
もっと言ってしまうと
人は「愛したい」という感覚を
どこかに持っているし、
「愛」というものを感じたいと
思っているということ。
(それは、無意識下にあって気づいてない方もいるかもしれませんが)
そう考えると、
みんな一つの目的をもって、
それぞれの人生という山を
一生懸命登っている同士でもあるし、
その山というのは
別々の山で、
競争する必要もなく
比べる必要もなく、
奪い合う必要もない。
だって別々の山ですから。
そう思えたら、、、
仮面なんて
どこかに脱ぎ捨てていた自分に気づく瞬間が来るのかもしれません。
ちょっと、
わかりづらいですかね?^^;
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