生と死

人生には、

誰しも決して避けられないことがありますね。


それが、

「生まれる」

ということと

「死ぬ」

ということ。


これは、

一見別々のことのように見えますが、

対のセットみたいなものでもありますね。


生まれた瞬間から、

いつかの死ぬ瞬間へ向かって進んでいるという事実。


人によっては、

人生のどこかのタイミングで、

そのことに向き合うときが来るのかもしれません。


ある人は、とても小さいころかもしれないし、

ある人は、死ぬ間際かもしれない。


そして、

それはもしかしたら、

論理的に積み上げてでる“答え”

万人に通用する普遍的な“答え”のようなもの

ではないのかもしれません。





私には、

いつからか、

「どうせ人は死ぬのに、なんで頑張らないといけないんだろう?」

という気持ちがありました。


でも、普段は、

無意識下に押し込めて、特に考えないようにしていたのかもしれません。



それが、一番表面化したのは、

熊本地震の時でした。


私の祖父母は、

熊本地震で被害を受けた地域の中でも、

特に多くの被害が出た地域に住んでおり、


地震によって、

祖父母の家は、崩れ去ってしまいました。


家もなくなり、

介護施設を着の身着のままで転々とする祖父母。


その姿を目の当たりにして、

なんだか愕然としました。


きれい好きで、かくしゃくとしていた祖父母。

唯一の自慢の家も何もかもすべて一日にして全てなくなってしまい、

しかも、今は、洋服も汚れ、施設を転々とするしかない。


「祖父母の人生ってなんなんだろう?」


こう書いてみると、

祖父母に対して、なんて失礼なんだろうと思いますが笑


私にとって、

祖父母を通して、

自分の「死」というものに

初めて向き合わざるをえなかった時だったのだと

思います。


そして、

これでもかというほど、

「死ぬ」という恐怖と向き合うことになるタイミングがきます。


人が大きく気づくときというのは、

お膳立てが全てそろっていたりしますね笑


まるで、

それは、人生という舞台劇が緻密に組み立てられているみたいに。



その日、

私は、ヒプノセラピーの第一人者ともいわれる、

先生が熊本に来られて、ワークショップを開催される日でもありました。


楽しみにしていた日。


その日の朝に、一本の電話がありました。

それは、祖母が危篤とのお知らせの電話でした。



ワークショップに向かう道すがら、

「人って何のために生きてるの?!どうせ死ぬのに!」

「しかも、人生でどんなに頑張って積み上げたとしても、

一瞬で何もかも失ってしまうこともある。死ねばそこで終わりだ」

そんな気持ちが一気に湧き上がってきました。


そして、

東洋先生のワークショップや、

ヒプノセラピーのセッションによって、

大きな気づきを得ることができたのですが、


その詳細は長くなるので省きますw


ご興味ある方がいたら

お話しできたら嬉しいです。



結論として言えば、

その時に初めて、


「平凡に生きる」という自分を赦すことができましたし、

「物質や人の評価などの外側ではなく、

自分の本質を生きる」ということが

なんとなく受け入れ始めた時でもあったのかもしれません。


「生きること」

「死ぬこと」



「死ぬこと」

もっといえば、

自分がいつかは死んでしまうという事実


これに対して、

自分なりの答えを持つことができた時、



「よりよく生きる」

「自分らしく生きる」


そんなことに本当の意味で

取り組めるのかもしれません。

Mi vida(ミ ヴィダ)

“本来のあなたに戻る旅” オンライン中心で ヒプノセラピーや 奇跡講座の学び合いの場を 分かち合っています。