意味づけしたのは誰だろう?
この世界に在るものは、
全て意味などない。
意味づけしているのは誰だろう?
例えば、
ここにある“ボールペン”
「これ書きやすくって、3色もあるし、シャープペンがあっていいんだよね~
そんでこれは~から頂いたものだったなあ。もう文字を書くときはこれじゃなきゃ無理!」
それが居心地の良いものであればいいのだけど、
「これしかない!」と思っていると、
「これがない!」っとなった時に、感情が揺さぶられる。
「あのボールペンどこにあるの!?ないと困る!!大事な手紙も書けないじゃん!!あれじゃないとダメなの!!もー!なんでないの?!」
なんて怒りのポイントになったり。
意味づけしているのは誰だろう?
意味づけをよーく見てみると、
全部過去の産物であるということがわかる。
「ボールペンという名前、書きやすい、3色でシャープペンもついてるといい、頂いた、文字を書くときはこれ」
それはもう素晴らしいくらいに。
私たちは過去に生きていたりする。
意味づけ=執着
ともいえるかもしれない。
そうやって、
いろんな物、人、出来事、この世界のすべてのものをみていくと、
だいたいすべてにおいて、
自分の“意味づけ”を持って
見ていることに気づく。
それはもう、圧倒されるくらい、わらっちゃうくらい、すごい数の過去の産物を
“今”に持ち出して、“今”を生きている。
「これがないと私ダメなのよね~」
「こんな時は絶対こうなるのよね~」
「あの人こんな人よね~」などなど。
でも、私たち、もっとシンプルに生きてもいいかもしれない。
いろんなことへの“意味づけ”を手放して、
もっと身軽に生きてもいいかもしれない。
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