子育ての瞬間瞬間で問われる二択

子供と一緒にいると、

瞬間瞬間で常に、

様々な選択をする場面が出てきます。


例えば、

料理をしたがる子供たち。

包丁を持たせても大丈夫か?まだ早いか?

私が手を添えた方がいいか、それともすべて彼ひとりで切らせるか?

えいやっと、彼を信頼して、一人で包丁を持たせてみたものの、

指を切ってしまう。

あ~やっぱり早かったか?いや、これも彼の経験か?

などなど、

もうほんと、一瞬一瞬で判断が必要だったりする。


でもですね、

私、究極は、二択しかないと思っています。



それは、「正しさ」か「幸せ」か?



今日も、出かける直前、時間も迫っていた時、

2歳の娘が、玄関に準備していた水筒の麦茶を

全てばしゃーっとこぼし、

辺り一面、麦茶の海・・・・・

その中でばちゃばちゃしている娘。。

洋服びしょぬれ。

イヤイヤ期まっさかりで

格闘した末にやっと着せた洋服なのに、一からやり直し。


一瞬、

「こらー!!」と驚きと怒りで言ったものの、

本人は全く悪気はなかったろうなあ、

麦茶が飲みたかったのよね~、

なんて頭によぎり、

そのまま私は膝を抱えて呼吸を整えた。


以前の私なら、

「正しさ」を振りかざして、

「何をしてるの!?なんでこんなことするの!?

誰が片付けるの!?もう時間がないんだよ!?」

なんて娘にしつけのつもりで、

(いや本当は自分の怒りや悲しさをぶつけたいだけだとは気づかずに)

怒鳴り続けただろう。


しかし、

今の私にとって、

「正しさ」なんて、

私と子どもたちとの楽しさ優先の日常にとっては、

必要ないことの方が多い。


あと、「正しさ」ってよーく分解していくと

ほんと親や世間や社会から自分が受け取って作り上げたハリボテであることの方が多い。



膝を抱えて呼吸に意識を集中しつつ、

「あ~自分は一人ぼっちで頑張ってる、、悲しい( ノД`)シクシク…」

なんて感情があるんだなあなんて

やってたら、


子供たちが、

「お母ちゃん、あとは僕たちがするから大丈夫だからね」と

長男と次男が、ちゃちゃっと片付け、

しかも、娘の着替えまでやってくれた。


娘は、膝を抱える私の頭をひたすらよしよしと撫でる。


私が思ってたより、

ずいぶんと彼らはできることが増えているし、

優しいし頼もしいのだなあと、

気づかされる。


こんな気づきって、

子育て中の大きな「幸せ」の一つですね。


「正しさ」か「幸せ」か?


この二択で、

「幸せ」を選択する、

反対に言うと、

「正しさ」を選択しないでみると

自動的に「幸せ」を受け取ることの方が

多いと実感しています。

Mi vida(ミ ヴィダ)

“本来のあなたに戻る旅” オンライン中心で ヒプノセラピーや 奇跡講座の学び合いの場を 分かち合っています。