“自分”をどう見るか?

私は、自分のことをたいしたことない奴だなあと思っています。


というか、大したことあっても、なくても、

どっちでもいいなあと思えるようになってきた。

という方が正確かもしれません。


そして、そう思えるほど、

幸せ具合は上がっている気がするのです。



かといって、

以前は、自分のことを

ものすごい素晴らしい人間だ!

そう思えていたわけではありません。


むしろ、そんな人間になろうと、なりたいと、

いろんなことを一生懸命努力していたように思います。



しかし、

意識の仕組みを理解すればするほど、


かつて、努力して、そうなろうとしていた

“素晴らしい人間”なんてものは、

本当はあってないようなもの。


親や祖父母や先生等が言っていた、

社会的な、世間的な、ただの“ハリボテ”を

自分で作り上げて、

崇めていただけだったのだなあと

そう気づいてきました。


そして、

“自分”というものがそもそもあってないようなものじゃないかと。


その時々で変化するし、

良い人でもあるし悪い人でもあるし、

人のためになることもできるかもしれないし、

全くの役立たずかもしれない。


でも、そんなこともどちらでもよくて、


それも、

人の評価、エゴの評価に一喜一憂しているだけ。


比較や評価はゴミ箱にぽいっと。



ただ、泣いたり笑ったり、喜んだり怒ったり、


そんな“自分”という物語を

まるで映画を観るように楽しめればいいのかな。


それが一番楽ちんで面白い生き方かもしれない。


それが、今の自分には一番幸せな生き方だなあと

そんな風に思っています。

Mi vida(ミ ヴィダ)

“本来のあなたに戻る旅” オンライン中心で ヒプノセラピーや 奇跡講座の学び合いの場を 分かち合っています。