頑張り続ける世界、、と思ってた。
いつの頃からか、
この「頑張り続けなければならない世界」に
うんざりしていました。
親も先生も社会も、
頑張ることはいいことだ。
頑張ることは素晴らしい。
私には、
そう言っているように思えて、
息苦しくてたまりませんでした。
「どうせ頑張っても、いつかは死ぬのに。
なんで頑張る必要があるんだろう?」
そんな疑問が、
心の底にずっと在りました。
だけど、
そんな疑問を唱えても、
応えてくれそうな人は見つからず、
頑張ることが
親や先生、社会に受け入れられる
一番の近道なんだなあと。
でも、頑張っても、頑張っても、
そこで人生が終わるわけもなく、
次から次に
新たな頑張るハードルが現れ、
いつまでも
心安らかに休むこともできない。
しかも、
周りを見回すと、
自分より断然頑張っているように思える人が
ごまんといる。
どこまで頑張ればいいんだろう。
頑張り続けなければいけないことが
本当にしんどいなあと
そう思い続けて
生きてきました。
でも、
そもそもの信念が、
自分を苦しめていたことに気づく。
『頑張ることはよいことだ』
『頑張らないと愛されない、認められない』
そんな信念が自分の無意識に潜んでいたことに
気づきました。
あとは、
その信念を採用するかしないかは
『私』次第です。
そんでもって、
(ちょっとここからはわかりづらいかもですが)
そもそも
『私』という存在自体が「ない」かもしれないのに、
「ない」かもしれない『私』って存在を強めるために
その“信念”を使って『私』を苦しめていただけだとすると。。
例えると、
何もなくて完璧だった空間に、
わざわざゴミを持ってきて、
「汚い!くさい!」と
わめきたてていたようなもの。
わめきたてることで、
「私ですよ~私ここにいますよ~!」と
表現しているという。
まさに、自作自演というやつですね。
でもそのトリック?に気づくと、
反対に、生きてる自分が
愛おしくもいじらしくも
思えてくるという。
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