知覚を正す
こんにちは。
今朝、日課の散歩をしていたら
あられが降ってきました。
風も強くとっても寒かったです。
強風と寒さの中、
一人歩く。。。
その中で
関連して思いだしたのがスペイン時代。
20代前半に一年弱ほどスペインのバレンシアに滞在しておりました。
その時も
同じように、一人で寒さと強風の中とぼとぼと歩いたなあと。
とっても孤独で、この先どうしていいかもわからなくて、
この先どころかこの瞬間さえどんな状態でいていいのかわからず、
むなしくて絶望的で苦しくて。
今、考えれば、ただ楽しめばよかったのですが、
「楽しむ」ということがどんな感覚なのかも、
その時は本当にはわかってなかったのかもしれません。
それから約20年後の今。
寒さと強風の中、一人歩く。
傍から見たら、
なんら変わらない光景だとは思います。
奇しくもなぜかその時に着ていたジャケットと今着ているジャケットが似ている。。
色も形もなんか同じ。。w
その時と今では何が変わったのか。
もちろん歳もとりましたし、
結婚出産、仕事を辞めたりなんだったり
いろいろ経験も積んでいます。
まあ、それらも含めて変わってきたとは思いますが。
なにより、一番変わったのは
自分の“知覚”だなあと感じます。
つまり、
同じ現象が目の前に現れた時に
どんな心でいるのか、
どんな反応をするのか、
どんな思考をしてどう感じるのか。
そこが、もう本当に天と地ほども
変化してきたなあと
しみじみと感じました。
“知覚”を変化させていくのは
ある意味「訓練」が要ります。
目の前の現象に対して
葛藤が起こるということは、
平安でいられないということは、
“知覚”が何かしら歪んでいるということ。
葛藤を起こすような何か「メガネ」をかけてるとも言えます。
葛藤は、外側の出来事のせいではなく、
自分の“知覚”が引き起こしている。
最初は、いえ、今も無意識では、
否定したがってる自分がいるかもしれません。
しかし、考え方を変えれば、
コントロールの利かない外側と悪戦苦闘する必要はなく、
ただ、自分の知覚にアプローチすればよかっただけなのです。
歪んでいた“知覚“を
ただ、
たんたんと正していく。
その「メガネ」の曇りをとっていく、
最後には「メガネ」もいらなかったことに気づく。
自分の人生でやるべきことは
それだけだったのだなあと
今、やっとさらに腑に落としています。
今年は
ますますそれをしていきたいと。。
あられと強風のなか思ったわけですw
これはいつかの散歩道。
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